女房殿と上州富岡製糸場、信州龍岡五稜郭、甲州清里を巡る旅をしてきた。熊谷から富岡までは60キロ弱で、何十回も通過して馴染みの |
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ある名前だが、立ち寄ったのはお茶休憩ぐらいで、町の事は全く知らなかった。富岡製糸場が世界遺産に登録され、見学に行かねばと、混雑 |
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状況を注視、そろそろ大丈夫と判断した。開門前の9時前に富岡製糸場に着くと既に人の列ができていたが開門して10分もしないうちに見 |
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学できた。上州は晴天だったが、信州、甲州は薄雲が大きく広がり、青空が望めたのは僅かだった。 2014年9月23日 |
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上州/世界遺産・富岡製糸場 |
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富岡製糸場の門前に立つと、全面に |
東繭倉庫の一部は展示室になってい |
製糸に係わる建造物が幾つも立ち並 |
富岡製糸場のメインとなる繰糸場に |
レンガ造りの建物が見えてくる。鮮や |
て、パネルで富岡製糸場の歴史を紹介 |
び、女工館や診療所、寄宿舎など、女 |
入ると、近代的な繰糸機が両サイドに |
かで明治初期に建設されたとは思えな |
絹ができるまでの行程が説明されてい |
工の生活模様が薄らと窺える。 |
長々と並んでいる。透明なビニールシ |
いモダンさがある。混雑状況は予想通 |
る。実際に使われた器具や絹糸が展示 |
工場内の建物には老朽化が進んで取 |
ートで養生され、素通しでは見れない |
りそれほどでもなく、9時に開門して |
され、興味をそそるものが多く、見学 |
り壊されたり、補修が行われているも |
ようになっているが、一部でビニール |
から10分もしないで見学することが |
には時間がかかる。念入りにメンテナ |
のもあり、各所で衝立やビニールシー |
が外されていて間近に見ることができ |
できた。門から見えるレンガ造りの建 |
ンスをすれば再開できるように思えて |
トで目隠しされている。何年かすると |
る。今にも動き出すかの様な新しさが |
物は繭の倉庫だったところで、今は展 |
係員に聞いてみた。一部の機械を再開 |
これらの建物が生まれ変わって、富岡 |
感じられ、係員の実演予定との話が現 |
示室や売店となり、富岡製糸場の歴史 |
して実演も計画しているようで、何年 |
製糸場がさらに発展していくのを予感 |
実味を帯びてくる。実際に動くところ |
が学べ、絹製品が手に入る。 |
かすると一層面白くなりそうである。 |
させる。 |
を是非見たいものである。 |
信州/佐久 |
甲州/清里 |
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群馬、長野の県境内山トンネルから |
龍岡城五稜郭は函館の五稜郭ととも |
龍岡城五稜郭は佐久市でも山に近い |
昭和50年代、清里の名前がしばし |
佐久の国道254号線の通り沿いには |
に五つの稜が星型になった、日本では |
片田舎にあり、最近取り付けられたら |
マスコミを賑わし、テレビで紹介され |
コスモスが植わっており、コスモス街 |
二つしかない、洋式を模した城郭であ |
しい真新しい案内板が、田舎道に出て |
る映像では若い女性が大挙押し寄せて |
道と呼ばれている。歴史は古く、30 |
る。函館は有名で、北海道に行った時 |
くる。カーナビと異なる表示なので、 |
清里は原宿竹下通りと言われるほどに |
年以上前からコスモスの名所として知 |
見学をして知っていたが、龍岡城の方 |
到着するまで不安となった。 |
若い女性の心を引き付た。清里の名が |
れ渡っていた。各地にコスモスの名所 |
は全く知らなかった。今年の5月に松 |
道路事情でも分かるように観光化は |
消えて幾久しいが、何故か心に残る。 |
があるが、何百万本と、多さを売り物 |
本、諏訪を訪れる時、情報収集で龍岡 |
遅れており、訪れるものも少ない。五 |
原宿に無縁の昭和20年代前半生まれ |
にするところが多い中で、何十年も変 |
五稜郭の名前に遭遇、頭に残っていて |
稜という特殊性を見るには平坦地では |
の少なからずの人が、ノスタルジーと |
わらずに、長閑な風景を作り出してい |
今回の旅ではルート的にいい機会と見 |
不可能で、函館のように全貌が分かる |
して清里の名が心に刻まれているので |
るのがコスモス街道の魅力である。 |
て見学することになった。 |
タワーのようなものが必要である。 |
はなかろうか。 |