2 魔物が棲む

1984年8月27日 蓼科家族旅行

 私が結婚した当初、母は弟と暮らす生活を選んた。弟は、母が内縁関係にあった人と養子縁組を結び、養父は1年もしないで病死し、相応の資産を相続した。

 どれほどの資産を相続したか分からないが、弟と暮らす新居を建てるにあたって、相続した資産では不足とのことで、私たちがが住んでいた大宮の家を売りだすとの話が、母から持ち込まれたのである。

 大宮の家は、父が労務災害で亡くなって、労災遺族補償などと、私がローンを組んで、土地を購入、新築したものだった。ローンを組んだ事で、家屋は私の名義になったが、ローンの残額を母が負担する形で一括返済、大宮に来る前に住んでいた、熊谷の古い家(借地に立った、借家にしてある住居)へ移るように言い渡されたのである。

 古い家は、妻の実家と地続きになった隣家で、妻にとって良いと考え、弟に資産を渡す形で熊谷へ移る事になった。実際は、妻は反対だった様で、移る事に若干の抵抗を示した。私とすると、母との縁が薄くなる事を望んでいて、利害が絡む関係は、一切無用となると信じ、勇んで熊谷に移り住んだと言うのが本音だった。

 ところが、我が家が熊谷での生活が定着すると、弟が結婚し、母と嫁さんとの折り合いが悪く、母は我が家へ来たがるようになった。弟夫婦との折り合いの問題は、あくまでも母の我が儘である事がすぐに分かった。

 家の建て替えについては、私は返済不能な額のローンを組まされ、資金援助するとの口約束の元、建て替えに踏み切ったのである。結局、私が母の我が儘を容認しなかったので、別居となり、援助が打ち切られ、経済的に厳しい生活を余儀なくされた。

 1981年7月14日 那須りんどう湖にて

 1982年1月17日 佐野厄除け大師にて

 1982年5月2日 母の誕生会

 1982年7月22日 大洗海水浴

 1983年1月3日 伊豆旅行

 1983年10月10日 次男運動会

 1984年8月28日 蓼科旅行にて

 1985年4月5日 長男誕生会

 1986年4月13日 蕨の弟の家にて