第15章 我が家の冒険記⑸ |
昭和61年1月18日 草津スキー場にて(父娘孫3代の揃い踏み) |
昭和61年に入ると、母の強い要求で家の建て替えが浮上、私は大きな負債を負う事になる。 母は弟夫婦と一緒に暮らしていたが、子供ができた頃には折り合いが悪くなっていて、我が家へ来たいとの願いから始まった話である。 母の心内には身勝手なシナリオができていて、我が家に対しては弟夫婦の悪態をついて、私の同情を求め、弟の家にあっては、我が家に同居を求められていると吹聴、仕方なしに移り住むとの設定だった。 私の意思などお構いなしで、母の思い通りに話が進んで、挙句の果てに、我が家は支払い不能な金額の借金を背負わされる事になったのである。 当然母の資金援助が前提になるが、それは月々に母の食費として割高に出されるもので、母の機嫌を損ねれば、保証されるものではなかった。 我が家を借金で身動き取れなくさせ、援助する事によって強い立場(自分が主役)に立とうとするものだった。 私は母の魂胆を見抜いていていたが、迎合するつもりはなく、家族を守る事を本分としていた。必ず窮地が訪れるとことも予見していて、それでも、母が自らが置かれた厳しい状況を自覚し、断絶を踏みとどまるとの楽観論に準じていた。 前年から、義父を「ささやかな大冒険」に同行するようになり、昭和61年も、家族スキーを中心に行動を共にしてきた。 妻にとって、実家に置ける唯一の気がかりに光明を照らすことになり、父も満足そうな笑みを絶やさなかった。 |
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1月5日 お婆ちゃんの誕生会
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1月18・19日 草津スキー
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1月26日 草津スキー
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2月4日 赤沢スキー(妻と私、義父の3人で出かける)
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2月15・16日 草津スキー 二日間雪に見舞われ、スキーはほとんどできなかった
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スキーは断念して草津熱帯園を見学
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2月23日 赤沢スキー 雪が積もったばかりで雪遊びとなった
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4月10日借家にて
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4月13日 6回目のディズニーランド
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4月19日 新築に伴う地祭りが行われる
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4月24日 水盛りが行われる
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4月30日 基礎工事が始まる
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5月10日 棟上げ
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5月11日 建前
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5月18日 瓦工事
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6月6日
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6月13日
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6月22日〜29日 組合役員仲間との北海道旅行 22日 函館五稜郭跡にて
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大沼公園
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23日 洞爺湖
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昭和新山
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登別温泉
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24日 襟裳岬
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25日 阿寒湖
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摩周湖
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層雲峡温泉の宿にてアイヌ民族舞踊を見学
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27日 サッポロビール園
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札幌時計台
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28日 支笏湖
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函館・トラピスチヌス修道院
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