第11章 我が家の冒険記⑴ |
昭和59年3月3日 むさしの村にて |
昭和58年までは、私が労働組合の役員をやっていたために多忙を極め、マイホーム主義でありながら、家庭を犠牲にしてきた。 特に、妻の負担が大きく、妻がいなければ成り立たない生活だった。妻は子育てを生きる目的とした、母性の強い女性で、私が最も理想とした姿だった。 私は、「仕事は生活費を得るための価値」と考え、会社に少しも愛着を持っていなかった。しかし、人間関係を無視する事が出来ず、組合活動で、苦労を共にしてきた仲間とは、役員を降りた後も交流は続いた。 仲間とは、我が家に定期的に集う習慣ができ、麻雀をし、妻の手料理でもてなした。 組合から完全に手を引こうと思ったが、「飛ぶ鳥あとを濁さず」で、資料作成など、いつまでも完全にフリーにはなれなかった。 どうしてもけじめをつけたく、今まで取り組んできた事の解説集、「競争下における、顧客ニーズに応えるための、現実的な対応について」と題して、20ページに及ぶ冊子を作った。 冊子が組合員にどのように反映したか分からないが、職場が大きく変わっていく事に、軋轢は生じず、混乱は全く起こらなかった。 私の生活は、家族最優先の生活に切り替わったが、創作への欲求も強まり、書く事にこだわりを持った。しかし、家族の事を差し置く事は出来ず、執筆はほとんど進まなかった。家族旅行は、昭和59年だけで15回以上も行っている。 子供たちのはじける笑顔は、妻も私も、ダイヤモンドに劣らない、宝石と感じていて、心のうちに莫大な財産が蓄積された。 |
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11月2日 鬼怒川・塩原旅行の朝(靖宏は階段から落ちて目元を怪我する)
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11月2日鬼怒川にて撮影
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11月13日 靖宏七五三のお参りに行く(自宅にて)
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(神社にて)
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11月14日 初めてのディズニーランド(埼玉県民の日で県全域でディズニー行きが募集され我が家も応募した)
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(大変な混雑で埼玉県民だけで4万人との情報もあった)
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(各所で行列ができ、人気のアトラクションは2時間以上も待つようだった)
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12月18日 靖宏幼稚園お遊戯会
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12月18日 靖宏5歳の誕生会をする
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2月11日(土) 森林公園にて(弁当を作ってもらって、妻は同行させず、孝介の友達も連れて行くようになった)
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2月12日(日) 池袋サンシャイン水族館にて
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2月16日(木) 妻の誕生会
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2月18日 スキー前日の宿にて
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2月19日 鶏頂山スキー場にて
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3月3日(土) むさしの村にて
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3月29〜31日(木〜土)福島飯坂、栃木那須旅行 初日東北自動車道サービスエリアにて
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3月30日(金) 福島グリーンハイランドにて
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3月31日(金) 那須ハイランドにて
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帰りの高速道路サービスエリアにて(上の写真右側も同じ)
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4月1日 孝介誕生会
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