第10章 子育て奮闘記⑷ |
昭和58年6月12日 東武動物公園にて |
私の多忙さは昭和58年に入っても変わらず、体調を維持するのが難しくなっていた。運動不足解消を考え、子供達と早朝ジョギングを始めるようになり、毎日とはいかなかったが、出来るだけやるようにした。ジョギングは、当初長男だけだったが、次男も連れて行く様になり、遊び気分で、楽しみながら続けて行くことができた。 私の多忙さを、母は全く無視し、数限りなく要請をしてきて、母に係わる対応にも、心身ともにすり減らす状況だった。姉や弟の事にも対応させられ、私にとって、親姉弟は足かせ以外の何ものでもなかった。 私が全く相手にしなければ解消した事なのだが、私は馬鹿が付くお人好しで、どんな理不尽にも、結局は動いていた。妻は、異常な状況にも全く動ぜず、内助の功に徹していて、私の限界を越えた多忙な生活に、潤いを与えてくれた。子供達の笑顔も大きな力となり、苦難な時期を乗り切る事ができた。 昭和58年は、私が組合の役員を降りた年で、大幅な合理化計画が、決着の時を迎えていた。私は、最も困難な時期に合理化問題に全力投球してきたのである。 どんなに忙しくても、子供達と出来るだけ遊んでやるようにして「ささやかな冒険」を数多く演出してきた。 「愛妻記」は、妻の深遠なる愛情を披歴するもので、妻がもたらしたものは、子供たちの生き生きとした姿である。文言ではとても表現しきれない姿を、写真で語ろうとするものである。 当初、PDFファイルで掲載した時は、この章は「子育て奮戦記⑶」としてきたが、改修に伴い、1章加算することになった。同時に「奮戦記」から「奮闘記」に変更、写真も多く掲載している。 |
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1月3日 伊豆・石廊崎にて
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1月17日 栃木鶏頂山スキー場にて
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4月5日 高坂子供動物公園にて
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4月5日 高坂子供動物公園から帰って孝介の誕生会をする(子供達は少々疲れ気味)
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4月10日 孝介入学、靖宏入園記念写真を撮る
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4月14〜17日 沖縄(本島と宮古島)にて
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4月25日 森林公園にて
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6月2日 東武動物公園にて
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8月5〜7日 姉の結婚式に列席
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(伊丹空港にて)
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(大阪城見学)
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左・大阪城内・右・帰りの新幹線内
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8月20〜22日 四国香川墓参旅(行きの飛行機内より)
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(父の墓参)
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二日目(父の実家で法要を行う)
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三日目 帰路につく
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9月14日 父の13回忌法要に合わせて納骨をする
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10月2日 孝介運動会
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10月10日 靖宏幼稚園の運動会
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孝介卒園生の飛び入り参加
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