第5章 長男成長記

昭和52年9月20日 上野動物園にて

 長男が生まれた時は、私が組合の役員を降りた時で、仕事に係わる縛り付けは薄く、比較的長い時間、子育てに加わる事ができた。

 休みの時は、幼児でも遊べる、遊具場に連れて行った。子供の成長に欠かせないのは、経験で、どれだけ遊ばせてやれるかが、親としての価値が決まってくる。

 特に男親は、子供の遊び相手にどれだけなれるかで価値が決まり、妻もまた、私が子供の遊び相手に、どれだけなってくれるかが、重要だったのに違いない。

 私は、自分の事以外に、厄介事を背負いこんでしまう巡り合わせになっているようで、特に、母親から様々な要求が出されてきた。

 要求は妻に押し付けられ、私が断ると、妻へ風あたりが強くなり、妻は、私も要求をのむよう、言われた事は何でもやろうとした。

 幼子を抱えながらも、妻は孤軍沸騰で、身内の、女手の仕事をこなしてきた。母にとっても申し分のない嫁であるはずだったが、自分の身勝手で、理不尽な要求を何度でもつきつけてきた。

 妻の実家では、子育て支援を惜しまず、私の意思も加わって、出来るだけ訪れるようにした。妻に少しでもゆとりを持たせようとの思いと同時に、私の付き合いで生じる、空白を穴埋めしようとの思いもあった。

 この時点では、大宮に引っ越すまで住んでいた、熊谷の家に戻るとの話は出ていなかったが、母と弟の都合で、大宮の家を売り出し、押し出される形で昭和55年の8月に熊谷へ引っ越す事になる。

 熊谷の家は、妻の実家と地続きに隣り合っていて、同居こそしなかったものの、スープの冷めぬうちの関係ができあがる。

 昭和52年1月17日 大宮氷川神社にて

 2月2日 自宅にて

 2月4日 自宅にて

 2月26日 自宅にて

 3月22日 熊谷にて

 4月5日 大宮公園でお花見

 お花見から帰って・五月人形のお披露目

 5月5日 お節句

 6月13日 大宮のデパート遊具場にて

 7月21日 熊谷うちわ祭を見学

 7月25日 自宅にて水遊び

 9月20日 上野動物園にて

 4月4日 大宮公園でお花見(肌寒く、桜は咲き揃っていなかった)

 4月15日 大宮公園にて

 前年にブランコに乗せた時は怖がっていたが、2歳になると、余裕で乗れるようになった

 この時は、妻は既に第2子を妊娠しており、顔を含め、全体がぽっちゃりとしている

 4月22日 大宮のデパート遊具場にて

 8月30日 孝介と二人で上野動物園に行ってくる

 10月7日 大宮のデパート遊具場にて