愛妻記「どうもありがとう」

昭和49年11月25日 新婚旅行・法隆寺にて

第1章 婚約中の恋物語

 2017年9月13日に、妻は抗癌剤治療によって6日で亡くなってしまった。

 癌の証は無いのに、医師は安全性を強調し、妻本人と息子達の同意の元、抗癌剤治療を強行したのである。私には殺人以外の何ものでもなく、金儲け医療の魔の手にかかってしまったと、今も思っている。

 妻は、母や妹の理不尽な要求に対し、私が腹を立てると、「許してあげて」と、害を受けた本人に説得され、何度となく黙認してきた。我が妻ながら、観音様の生まれ替わりと思えることが何度もあり、身勝手が本道となった現代において、最も損な役回りに生まれてきたのである。

 妻は子供第一主義で、我が子を育てるのに懸命だった。本来、内向的で人付き合いが大の苦手だったが、学校においては、我が子に係わることであれば、どんな役も逃げずに、積極的に係わってきた。

 運動会では、運動音痴でありながら、親の出番があれば何でも参加し、懸命に取り組んでいた。子供会にも係わり、地域の支部長を押しつけられたが、何の抵抗も示さず、承諾していた。

 妻の承諾には、「分からない事があれば亭主に手伝ってもらう」との信頼関係ができていて、二人三脚が基本となっていた。

 私も厄介事を押しつけられる、損な役回りに生まれて、仕事で多忙を極めた時、妻の後押しで、苦難な時期をを乗り切る事ができたのである。

 相思相愛、頼り、頼られ、二人の心は限りなく結び付き、最高の人生を送ってきた。私は、妻の思いを汲んで、旅行を中心に、出来るだけの事をしてきた。むしろ、妻を連れ歩く事が、日常の楽しみで、語らいが途絶えた事が無かった。

 妻を失った今、妻を守れなかった悔恨と、供養の日々を送っている。妻を少しでも蘇らしたく、「愛妻記」を書きあげるのを、余生を過ごす術としている。

 昭和49年4月22日 定峰にて

 7月16日 日光中禅寺湖

 うちわ祭二日目巡行祭(2013年7月21日に撮影)

 うちわ祭二日目叩き合い(2011年に7月21日に撮影)

 昭和59年7月22日に撮影したもの(二人が着ている浴衣は、昭和49年7月21日の祭で着ていたお揃いのもの)

 熊谷うちわ祭最終日(7月22日)勢揃いの一風景

 8月27日 熱海にて

 8月27日 熱海旅行最終日